この坂は、新1丁目ご門から城内へ入る要衝に当る。坂の上にはもと天台宗の
三宝院という寺があった。加藤清正は肥後半国の領主となった後、父禅正清忠
菩提のため大阪に建立していた本妙寺を、この三宝院の跡に移した。法華宗(日蓮宗)の
本妙寺が置かれたため、以後この坂を法華坂と呼ぶようになったと伝えている。本妙寺は、
慶長十九年(1614)に中尾山に移されたが、坂は昔のままの名で呼ばれている。
熊本城内と城下町を結ぶ接点であった新一丁目御門の前には、肥後(熊本)藩の種々の政令を掲示する「札の辻」と呼ばれる広場がありました。この「札の辻」が里程元標にあたり、ここを起点として、豊前・豊後・薩摩・日向街道の里数が測られました。その際に、一里、2里、三里・・・と進むごとに、街道の両側に榎を植えてこれを里数木と称していました。現在でも、バス停や駅の名称に、「一里木」、「二里木」、「三里木」などといった当時の呼称がそのままつかわれているところがあります。このモニュメントは、歴史街道の起点を保存し、後世に伝えるものです。(平成6年11月)
法華坂を下ったところにある清爽園
ここは西南の役で激戦となったところ、この穴はその時できたものか、
第2次世界大戦の時の防空壕か不明ですが2つほどありました
里程元標跡(りていげんぴょうあと)
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Vol.6 熊本城稲荷・高橋公園 不開門 |
Vol.7 博物館・法華坂・清爽園 太田黒伴雄終焉の地 |